2014年3月10日月曜日

明日で震災から3年です

明日で震災から3年です。

多くの方が亡くなられた震災を改めて思い、心よりお悔やみを申し上げます。

実は、もともと『にのさん』は、3年前の震災がきっかけでできたお店です。

震災の後、食料がスーパーなどで激減してしまい、また、原発のこともあり、この先、食べるものはどうなるのかなあ、という強い懸念がありまして、それで、当初は、実は、共同購入をやりたい、というのが趣旨だったのでありました。

当時は、放射線測定などがあまりされていなかった時期でしたので、測定を自分たちでやるべきか、あるいは西から食料を取り寄せるべきか、など様々考えまして、しかし、食品の測定というのは容易なことではないのは明らかで、それに、どこかで、そのようなかたちが本当によいのか、納得できない部分もありました。

つまり、安全性を求めて限られたパイを奪い合う限り、経済力があるものが勝つに決まっています。そういうところに乗るのが、本当にいいことなのか。どうも、それは違うような気もしていたのです。

それに、そういうことを続けていると、地域の農業を潰してしまうのではないかと思いました。

それで、共同購入をやるにしても、地域の農家さんと、本当に顔の見える関係をちゃんとつくっていって、例えば、栽培方法とか、そういうことも含めて、きちんと対話できるようなかたちを、時間をかけてつくっていければいいなと思って、それで始めたのが、『にのさん朝市』です。

つまり、じつは、にのさんは、朝市が最初にあって、そのあと、総菜屋ができたのです。

なぜ朝市が総菜屋になったかといいますと、結局、食べものを日常的に、公平に分け合うには、販売するのが一番いいんじゃなかろうか、と思いはじめた頃、栃木県の社会福祉協議会が、地域の高齢者福祉に貢献するような民間の活動を支援する、という趣旨の公募(地域の福祉力整備促進事業)を実施し、それに応募して立ち上げの支援を受けられることになり、スタートができた、という経緯があります。

一緒に朝市を企画した仲間がヘルパーをやっているのですが、震災の時、ガソリンが入手困難になり、普段はいけている利用者さんのところにいけなくなってしまって、本当に、生死に関わるところだけにしかいけない、という事態に陥ってしまったのだそうです。

また、震災で設備が壊れるなどして、長い間、非営利で配食サービスを行っていたグループも、活動をやめてしまったと聞きました。

災害は、社会的に弱い立場に置かれている人には、まっさきに厳しい状況をもたらすようです。



地域の小さな飲食店は、実は、食料の備蓄庫でもあります。もともと大人数の食事に対応することを前提に準備しているので、いざというときには、炊き出しなどにも対応できると思います。

また、業務用の調理機器というのは以外とアナログで、たとえば、ガスコンロや炊飯器なども、電気に頼っていません。つまり、仮に電気の供給がストップしても、とくに問題なく調理はできるのです。

 そのようなことが必要な事態が起こらないことを、もちろん心より願ってはいますが、もし、あのときのように、命の危険を感じるような非常事態があったとき、にのさんは、ガソリンがなければいつもより早く起きて歩いて店にたどりつき、食材がなければ今ある食材をつかって、米しかなければおにぎりだけでも、あるいは、それすらなければスープだけでもつくって、いつもの通りに12時に店をあけてお客様をお待ちする。そういうことをしたい、と思っています。

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